7.31 学者・学生一斉行動

2015年7月31日の学者学生一斉行動に参加した。もちろん、各大学が反安保法制の声明を出し、学者の会が行動を起こすことは素晴らしい。なのだがなんとなく私はイライラしていた。つまり、どうして大学はもっと早く行動しなかったのか、という思いだった。
いわゆる行動保守のヘイトスピーチや特定秘密保護法などは、安倍クーデーターの前兆であり端緒であった。そこで食い止めることができれば、今とは違った流れになっていたかもしれない。ファシズムが台頭する時に非政治的であるということは、強い政治的態度であった。
最近になって多くの法学者や政治学者の発言を見るが、例えばヘイトスピーチは、表現の自由と差別との緊張感の中にあり、多くの法学者が参入した議論になることが必要だった。しかし憲法学者の多くはヘイトスピーチ規制に否定的だったと聞く。市井の人々が慣れぬ条文を読み、道路にシットインして食い止めようとした。結果として、歴史の教訓通り、在日コリアンの人権が脅かされる社会は、日本人の人権も脅かされる社会へと変わっていった。
そう思っていたら奥田愛基が壇上に上がってスピーチした。
————-
「この段階から日本の民主主義がなぜ腐っているか、若者の投票率がなぜ低いか、そんなことを議論しても仕方ないのです。
できない理由を実証して何になるんでしょうか。
できないことを実証して何か成し遂げた気になるなるのはもうやめましょう。
我々には夢があります。
我々には変えたい未来があります。
そして、その未来をわたし達は生きていきます。
繰り返しましょう、何度でも言いましょう。
「民主主義とはなんなのか」
——————–
奥田くんは、いつも"be"ではなくて"do"の主体としての人間を問う。私は「善きサマリア人のたとえ」を思い出す。「隣人とは誰か?“And who is my neighbor?”」「我々はなんであったか?」「正しい○○○○○○とはなにか?」このような問に対してキリストは、「行って同じようにしなさい。“Go and do likewise.”」と答える。
「我々には夢があります。
我々には変えたい未来があります。
そして、その未来をわたし達は生きていきます。」
311以後、昨日の高校生デモほどの規模ではないが、抗議の現場に中・高校生を見かけることもあった。私はその行動を促す社会の圧力を創りだしてしまったことに、申し訳ない思いでいっぱいで、環境のととのわない場での活動に、時に反対したこともあった。
しかし、SEALDsに続く高校生のデモや各地での同時多発的な若者の行動を見て、日本の民主主義のステージは大きく転換したことを思い知る。〈不断の努力〉によって民主主義を問い続ける社会、〈ポストSEALDs社会〉が生まれ始めているのだ。
(写真は〈生肉で火事〉を説明する奥田くん)

広告