「戦後生まれの戦争責任」

「戦後生まれの戦争責任」について考えるときに重要なのは、個人と国家の責任の違いを明確にすることです。と言うのは1980年代の戦争責任論には、それを同一視するニュアンスがあったと感じるからです。記事の後半でテッサ・モーリス=スズキが書いていることはそのことです。

 「歴史事件そのものに対して戦後生まれの個人が謝罪する必要は原則ないと思う。ただし国家は連続性のある存在であり、謝罪すべきです。また国民には、謝罪するよう政府に求める義務があります」

個人と国家の責任を同一視することは、一つの強いナショナリズムです。例えば韓国や北朝鮮政府がしたことによって、在日コリアンを責めたり差別する事もそうだと思います。また今日の歴史修正主義者の背景には、この同一視があるのではないかと思っています。大日本帝国による植民地支配の罪を自覚し、その責任を自己の責任と同一視するからこそ、言葉を尽くして過去を修正しようとするのではないかと思います。

日本の戦争責任を考えるときに、個人と国家の責任を同一視することは、歴史修正主義と根が同じ態度ではないかと思います。というか順序が逆で、個人と国家の責任を同一視するような戦争責任理解が、今の歴史修正主義を産んだのではないでしょうか。

implicationについて深く内省することは重要で、しかも過去に気付きはあったとしても、その内省が日本社会で支配的だった時はまだ無かったのかもしれません。しかし、モーリス=スズキが言うように、戦争責任に対する個人の責任の取り方とは、国家が罪を犯した時にはそれを糾弾し、指摘することだと思います。

http://www.asahi.com/articles/DA3S12132968.html

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